Edición Iman エディマン

フジタの白鳥、フジタ没後50年での再演前夜に思うこと

いよいよ3月3日から、都合3日間の舞台が幕をあける。
東京シティ・バレエ団の50周年記念も重なり実現する、藤田嗣治の舞台美術による『白鳥の湖』再演だ。
指揮は大野和士さん。管弦楽は都東京都交響楽団による。
この舞台の実現にあたり、故・佐野勝也氏のはたらきが大きかったことに異論のある者はいないだろう。
すでにさまざまな記事で紹介されているが、佐野さんが1946年に帝国劇場で日本で初めて全幕上演された『白鳥の湖』の舞台美術を藤田嗣治が担当したと知ったのは2000年のこと。
それから佐野さんがはじめたのは、まず、再演するための活動だった。
しかし、そうはうまく事が運ばない。
なぜ実現しないのか悩んだことと思う。
そこで佐野さんがたどり着いた結論は、自分に大きな実績や成果がない、ということだった。
以後、猛勉強の末早稲田大学の大学院に進み、育児や家事をこなしながら博士論文を仕上げた。
この間、ご家族の支えはじつに大きい。
こうした佐野さんの歩みは、一歩一歩が、『白鳥の湖』再演に近づくためのものだったはずだ。
佐野さんの研究スタイルは独特だ。
関係があるとみれば、まず足が動く。時には自らの思いが調査結果を上回るような書きぶりもみられる。時には推測もいとわない――しかし、その推測には佐野さんの確信がつねに宿っているのが見て取れるのだ。
ゆえに、一冊の本としてこれはありなのだ、と、いち編集者として思う。
内容に踏み込んでいうなら、佐野さんに演出経験があったこと。
それが藤田嗣治を小山内薫や蘆原英了との血縁関係で捉える眼差しを構築した。
そこに歌舞伎やバレエなどの舞台芸術を横断的に見る佐野の視点が加わり、舞台美術家・フジタFoujitaを見出した。
それを探求しまとめ上げたのは、佐野さんの執念。
その執念を支えたのは、フジタの舞台美術での再演をめざした情熱。
ぼくが『フジタの白鳥 画家 藤田嗣治の舞台美術』を刊行して1年。佐野さんの足跡は濃くなるばかりだ。