Edición Iman エディマン

ゲバラの夜〜革命は遠くて

昨日は映画の試写会に行きました。

『チェ 28歳の革命』と『チェ 39歳別れの手紙』の2本。合計で4時間30分を超える大作でした。
監督はスティーヴン・ソダーバーグ(どうでもよいけど、場内アナウンスでは「ソーダバーグ」と言っていた。それじゃあ、ソーダとハンバーグみたい)、主演はベニチオ・デル・トロ。ネタバレは厳禁ですよね。

前者はキューバ革命に参加した頃のゲバラ、後者はボリビアに渡りゲリラ戦を展開した頃のゲバラを描く。徹底的にリアリティを追求したのだろうということは、音楽を極力使わなかったこと、英語ではなくスペイン語で演じたこと、場面が変わるたびに日付や経過日数が表示されることからもわかる。ナレーション的な要素は排し、そのかわり前者では効果的に、ケネディ政権とキューバの橋渡し的な役割を果たしたテレビ・ジャーナリストとゲバラのインタビューや、国連でのゲバラの演説を挿入(引用)している。後者に関しては、そういったものすらない。

この、いわば劇的なものの不在から、あらためてゲバラの特異さが浮かび上がる。それはつまり、芭蕉風に言えば、「革命を住処」としたゲバラである。革命の「先端」を生きるようになったゲバラ。
これ以上書くと、映画を観ようという人たちには申し訳ないので横道にずらすと、そういえばぼくは、若松孝二の『連合赤軍』も観たのだった。

そこで描かれたのは、革命をめざし、学生運動の流れから有志だけで武装し、ゲリラ戦を仕掛けるべく軍事訓練を行ない、しかし敗走する中でしか行なわれない闘争。訓練中の凄惨なるリンチによる仲間の殺害。「革命をめざす運動」のなかで抱え込んだ抑圧の叫びだったのではないだろうか。
「革命をめざす運動」と「革命」は、まるでアキレスと亀のように、前者は後者に追いつくことはなく、したがっていつまでも別なものなのだ、と思う。

さて、膨大な資料をあたったというこの2本のゲバラ映画だが、ここでもうひとりの人物を想起せずにはいられない。ゲバラが最後のゲリラ戦を戦った国の名にも冠される人物、ラテンアメリカ独立の父とも言われるシモン・ボリーバルと、ボリーバルについて、同じく膨大な資料をあたり、物語『迷宮の将軍』を仕立て上げた作家ガルシア・マルケスである。マルケスならば、ゲバラをどう描くのか。ちなみにマルケスは1927年3月生まれ、1928年6月生まれのゲバラとは同年代である。

手もとのマルケスの年表とゲバラの年表を比べてみると、ゲバラがキューバの革命に参加した頃、マルケスはパリで失職し、革命成就後はキューバの機関誌『プレンサ・ラティーナ』のコロンビア支局の運営に乗り出す。

ゲバラが国連で演説を行なう頃は、原作の映画化を行なっていた。
そして、ゲバラがボリビアの地で処刑された1967年。マルケスは『百年の孤独』を出版したのであった。