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『鵺(ぬえ)の鳴く夜を正しく恐れるために』その2

『鵺(ぬえ)の鳴く夜を正しく恐れるために――野宿の人びととともに歩んだ20年』

明日は衆議院議員選挙です。みなさま万難を排して投票に行こうね。

19日に完成予定の『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために』(稲葉剛著、エディマン発行、新宿書房発売)ですが、おそらく今ごろ、すべての印刷を終え製本過程に入っているものだと思います。

今回は、本書の装画を描いてくださった、武盾一郎(たけ・じゅんいちろう)さんについてご紹介したいと思います。
本書を企画し目次案が固まってきたとき、頭に浮かんだのは新宿ダンボール村のダンボールハウスを彩った絵の群れでした。新宿駅西口のダンボール村は、東京都による強制撤去とその後の火災により消滅してしまうのですが、ダンボール絵画もまた、残ることなく消失しました。
そのダンボール絵画の制作者の中心人物が武さんでした。

新宿西口からダンボールハウスが消えておよそ10年がたった2005年、「ダンボールハウス絵画研究会」というものがはじまり、そこに参加したことが、ぼくが武さんと知り合うきっかけとなりました。
その研究会でぼくは、彼らがじつにたくさんの作品をダンボール村に描いてきたこと、制作当時の彼らは美術予備校の学生だったこと、絵を描いているときに背後を通る通行人からの暴力を恐れリュックを背負って絵を描いていたこと、金銭的問題やダンボールという性質の問題からペンキという画材を選んだことなど、当事者でしか知りえないじつに多くのことを知りました。また、この研究会を通じて、稲葉剛さんや写真家・迫川尚子さん(ベルクの副店長でもあります)ら、当時の新宿で活動してきた方々と知己をえることもできました。

研究会終了後も折りにふれ、武さんからは当時のダンボール村の雰囲気について聞いてきました。
本書の著者である稲葉剛さんが話題にのぼることもしばしばでした。拝見した当時の制作ノートにはイラストと吹き出しつきで稲葉さんが登場したり、なんていうこともありました。

本書の造本を宗利淳一さんにお願いにうかがった際、だれか装画を描ける人はいないかと相談を受けました。真っ先に武さんが頭に浮かびました。
装画のお願いを兼ねた打ち合わせの席、武さんはこのようにおっしゃいました。
「『鵺(ぬえ)』って、妖怪だよね。妖怪の正体について、水木しげるさんは『音』だと言ってるんだよね。稲葉さんが『鵺』? おもしろそうだね」
それから約3か月。武さんは稲葉さんの執筆原稿に一度も目を通すことなく描きあげました。「新宿鵺」と題された絵を、上尾駅のサイゼリヤで受け取ったとき、武さんは次のようにおっしゃいました。
「白黒反転、画像加工、どう使ってもかまいません」

絵を大事にかかえ、急いで帰宅して、慎重に梱包を解きます。
そこ現れたのは、身震いするほど迫力のある〈作品〉でした。黒いボールペンのみで描かれた途方もない線の渦のなかに、よく見るとさまざまな動物がビル群がそして鵺が描かれていたのです。それはアートでした。
しかしぼくの脳裏には不安がありました。そう。この作品をどうやって本の装丁に落とし込むことができるのだろう、という不安、そして期待です。
絵を見た宗利さんからは、すかさずスキャン方法などについて細かな指示が飛んできました。凸撮りの画像を手配し、絵の細やかな線と黒インキの迫力を保ちます。
さて、どうやってタイトルを印刷するか。しかも本のタイトルは『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために』と、ひじょうに長い。どうやっても絵にかぶさる。「鵺」は生きるのか!? 
正直この時点で、ぼくはかなり動揺していました。アーティストとデザイナーの力がぶつかり合うのですから、どちらかがどちらかを殺してしまうことなんておおいにありえますから。

結論から申しますと、宗利さんは「鵺」にもうひとつの命を吹き込んでデザインしてくれました。
見る立場や見る者によって異なる姿を見せる「鵺」。タイトルが入って「もうひとつの鵺」が立ち現れたように思います。
終わってみれば、こうするのがもっともよかったと思えるような仕上がりでした。

というわけで、どうぞみなさん、本書の隅々までじっくり味わってください。

武さん、すてきな絵をありがとうございました。