Edición Iman エディマン

架空の都市を思い描く

ブンガクの世界ではその作品の舞台設定で、架空の都市を持ち出すことはとくにめずらしいことではない。その流れは、一連のロールプレイングゲームによって大きくなり、webの「セカンドライフ」など一部のSNSは完全に架空の都市を形成している。そもそもコンピュータのOS自体が、あるリアリティをともなった「架空の都市」なのかもしれないが、ま、これは「仮想世界」として親しまれているものね。裏付けを持ち出す余裕がないので、推量するのみにする。

さて、ぼくたち読み手/遊び手/会員は、その世界が〈完全に無矛盾である〉ということを前提にして、そこに遊び、そこに楽しみを享受している。だから、一部のバグは、それ自体が価値をはらむということになるのだ。

やがて(というより、現在では速やかに)バグは報告され、架空の都市は若干の変更を加えられる。これをアップデートともいう。これはひとえに、「情報共有」の発想から生み出される現象だと思う。
だけど、ブンガクの世界ではなかなかこのバグが報告されない。なぜだろうと自問してみると、ひとつにはブンガク独特の比喩表現がそれを容易にさせないということ。もうひとつには(自分的にはこちらの方が大きな理由だけど)、やっぱりめんどくさいのだ。

地名が具体的に描かれている、それも自分が知っている地名が出てくるのだったらまだしも、知らない世界だったらば、そこは作者に任せてしまうのが無難な読書だ。そうじゃなきゃ、いつまでたっても一冊の本が読み終わらない。終わらないっていうことはないだろうが、いやになっちゃうのは確かかも。一般読者だもの。整合性がある、と信じて何が悪い!と開き直ったりして。。。

文学史にも堂々と登場するような作品や、「ノーベル文学賞」をとったりした作品ならば、まず間違いなどなかろうと安心してしまう。これってふつうだと思う。でも、そのような作品の架空の都市に、誤りや矛盾や、作品では言明されていないようなことがあったとしたらどうする? ってかどうしよう。自分が読んだものってなによ!? 確かめる術はないのだろうか。どうやって確かめたらよいのだろうか。そんな便利なアプリケーションはいまのところない。絶望的な気持ちになる。

作家のポール・オースターは、若き日にアイルランドを訪れた折、『ユリシーズ』をなぞるように町中をうろつきまわったとあるエッセイに書いているが、何か発見はあったのだろうか。それが原因で、足をかなりひどく痛めたようだけど、この方法は作品内の都市のありようを確認するのに、最良の一手だろうと思う。たぶん、こんなめんどくさい方法しかないのだ。

しかし架空の都市を相手には、こんな方法も役に立たない。う〜ん、どうしよう。さんざん悩むが、やっぱり地図におこしてみるのが手っ取り早かろう。それがいちばん楽なのか? 自問するが、それ以外になかろう。うん、ないだろう。で、それはたいへんなのはわかるが、おもしろいだろうか。というか、それをやってみたら、他人は「おもしろい!」と言ってくれるだろうか。大切な問題だ。

それで、ある作品について、それを読んでいるに違いなかろう人に恐る恐る訊ねてみた。「おもしろい」とそのお方は言ってくださった。

かくして、ある架空の都市を絵地図にしてみようと本気で思い、そのための作業をせっせか行なっているのだ。

注:言うまでもなく、本投稿は、すんごく遠回りな近刊の宣伝である。